3週間の旅から帰った夜、蛇口からお湯が出た。それだけのことに声が出た。帰国した夜の湯船は、旅の最後のページである。
旅の感想を聞かれて「風呂がよかった」と答えたら、それは自宅の風呂の話だった。3週間ぶりの自宅。蛇口をひねると、お湯が出た。それだけのことに、声が出た。
砂漠では水は1日2リットルの配給で、山小屋ではシャワーは3分100円だった。順番待ちの列で、前の登山者の3分を数えながら待った。あの3分の緊張感を知ってから、無限に出る41.5度は、もはや温泉である。この国は、静かにどうかしている(良い意味で)。
湯船に沈みながら、旅の記憶が順番に溶けていく。来なかったバス、通じなかった言葉、崩れたスイカの山。不便もハプニングも、お湯の中では全部「いい話」に変換される。人間の風呂には、そういう編集機能がある。旅は帰宅した瞬間に終わるのではなく、その夜の湯船で完成する。
では次はいつ行くのか。この風呂のありがたみが薄れてきた頃に、である。つまり、だいたい3ヶ月後だ。蛇口のお湯に何も感じなくなったら、日常の解像度が下がっている。それが出発の合図だと、記者は決めている。